ハナ肇とクレージーキャッツ、ザ・ドリフターズとともに最強時代のナベプロを築き上げて いた功績が評価されている。なお、前者との共演は比較的多かったものの後者との共演はほ とんどない。特に志村けん加入後の後者との共演は茶の間の記録に残る範囲では1975年正月 の新春かくし芸大会と前述の「さよなら公演」(ただしドリフは会場で出迎えをしたのみ) 、8時だョ!全員集合でのゲスト出演が数回ある程度である(「芸能ビジネスを創った男 〜渡辺プロとその時代〜」と言う書籍の表紙の裏のページに1975年の新春かくし芸大会の写真が 掲載されている)。

ザ・ピーナッツの愛車はプリンス自動車(後に日産自動車に吸収合併され現在会社は存在し ないが、現在も日産販売店系列の名称に「日産プリンス」という形で名称が残っている)の 桃(ピンク)色の車(車名不明)であった。
同じ双子の歌手であったこまどり姉妹とはデビューした年も同一であったこともあり、公私 共に交流があった。
「シャボン玉ホリデー」の正式名称を「ピーナッツ・ホリデー」にする事が有力であったが スポンサー側の意向で立ち消えとなった。この為ザ・ピーナッツの冠番組は1番組も存在しなかった。

「夜のヒットスタジオ」には1969年1月13日に初出演(曲は「ガラスの城」)して以来、約6 年間の間に40回に渡り出演。まだ「歌謡バラエティー」の色が強かった夜ヒットにおける常 連歌手の一組であり、「シャボン玉ホリデー」での経験から当時の人気コーナー「歌謡ドラ マ」にも率先して参加した。引退前最後の出演となった1975年3月31日放送では番組史上初の 「サヨナラ」企画(その後、山口百恵・南沙織・ピンク・レディーなどの引退・解散時にも 行われ、同番組の名物企画となった)が組まれた。このサヨナラ企画では、ハナ肇、坂本スミ子、伊東ゆかり、中尾ミエ、こまどり姉妹ら歌手・タレント仲間が数多く駆けつけ、「情 熱の花」や「心の窓にともし灯を」など計4曲を熱唱した。
この下の資料(昭和49年紅白の資料です)を見ていただければいかにピーナッツがすごいのかがおわかりかと。連続16回出場だけでもすごいのに、あの都はるみさん・三波春男(17回)・五木ひろしさんは4回ですからね〜橋幸夫でさえ15回ですか・・・当時で

この歌は、あの超有名な歌です。ちあきさんの歌もいいですが、ピーナッツの英語の歌詞もいいですね〜

戻る
こちらはウィキペディアさんからの資料と昭和49年紅白の出場歌手を