1959年12月、夏のラジオ講座の補習を受け、成績は最高で目立たない45位であった。パリを離れ、1963年に「サン・トワ・マミー」(原題:Sans
toi mamie)が最初のヒット曲になった。続いて「雪が降る」(原題:Tombe la neige)(1963年)、「Vous permettez
Monsieur」(1964年)、「Les Filles du bord de mer」と「夢の中に君がいる」(原題:Mesmains sur
tes hanches}(1965年)、「インシャラー」(原題:Inch Allah)(1967年)がヒットした。
ジャック・ブレルは「アダモは『愛の植木職人』」と言い、レイモン・デヴォは「アダモは歌であり、詩であり、心を揺らすもの」であると言った。アダモの曲は、世界各地でヒットし(特に日本で)、様々な言語で自分の歌を歌った(イタリア語、スペイン語、ドイツ語、オランダ語日本語、ポルト
ガル語、トルコ語)。日本でヒットした理由は、「雪が降る」の構成が、日本の俳句の形式に似ている事実から窺えるその為、日本人は日本の歌にして しまい、サルヴァドール・アダモ自身が聴いた話では日本人が歌うことさえある。 |